恍惚の再登竜門
- あんぽんたん姫
- 2019年6月30日
- 読了時間: 2分
わが国の名山には偉い坊さんによって開かれたものが多いが、大ていは伝説めいている。その中で記録の一番実証性のあるのは、日光の男体山である。その初登頂は、今から約千二百年前の天応二年(七八二年)三月、勝道上人によって果たされた。この登山のことは『性霊集』という古い本に出ている。著者は僧空海である。 <……> 私が男体山へ登ったのは昭和十七年(一九四二年)八月五日、特にこの日を選んだのは、二荒山神社の奥宮登拝祭の最中で、社殿の脇の登山口の門が開かれており、またこの表参道が勝道上人の取ったルートに最も近いと思ったからである。
<……>
湖畔から山頂まで約千二百米の高距で、ほとんど登りずくめの急坂である。勝道は自ら道を開いて行かねばならない。まだ残雪も深く、樹木の生い茂っている間を攀じ登って行く苦労は、なみなみではなかった。身は疲れ力は尽き、途中二夜のビヴァークを重ねて、元気を取り直しては登行をつづけ、とうとうその絶頂に立った。その時のさまを、空海の文章はこう記している。 「終にその頂を見る。恍恍惚惚として、夢に似たり、さむるに似たり……一たびは喜び、一たびは悲しみ、心塊持し難し。」 一たびは喜び、一たびは悲しみ、心塊持し難し--この最後の言葉がまことに簡潔適切である。幾度も失敗した宿望の山頂に遂に達した時、歓楽極まって哀傷多しの感動の起こることは、大ていの登山家におぼえがあろう。 深田久弥『日本百名山』「36 男体山」より抜粋
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